1988年4月、私は日本サッカー協会関係者の反対を押し切り、「熊本から日本一のチームを出すんだ」と夢を抱き、意気揚々と故郷での教師生活を始めました。
最初の赴任先は熊本商高。サッカーでも戦前からの伝統校でしたが、当時は全校生徒約1500人のうち1250人ぐらいが女子。サッカー部も低迷期で部員数はようやく1チームできるぐらいでした。「何だ、これは?」。帝京高や筑波大の環境に慣れていた当時の私はどこか傲慢[ごうまん]になっていたのでしょう。同好会のような活動状態に、最初は意欲を失いかけました。
しかし、意欲のない者から教わる生徒はかわいそうです。気を取り直し、サッカー部の指導を始めました。
最初にしたことは「夢の実現」に向けての方向性を決めることでした。つまりは目標を明らかにすることです。「目指すゴールのない者に進む道はない」。目標がなければ、日々の練習メニューに意味を持たせることなどできません。そこで私は「熊本県で優勝する」「サッカーを通して生徒を人間的に成長させる」ことを目標に掲げました。
熊商OBの河口宗正さんもコーチとして練習を手伝ってくれていました。初任の学校で、河口さんとともにサッカー漬けの日々を送り、教師として経験を重ねたことは私にとって大きな財産となっています。
自分自身の目標や理想も大事ですが、現実の子供たちの姿も視野に入れなければいけません。私が歩んだサッカーの環境と当時の熊商の練習環境にはギャップがありましたが、だからといって指導者は決して焦ってはならないということ、生徒の失敗には目をつぶる余裕を持たなければならないことを徐々に学んでいくことができたのです。
当時は大学を出たばかり。指導者といってもサッカーの教員団でプレーもしていました。現実を理想に近づけるため、生徒たちと一緒にグラウンドでボールを追い掛けながら、「昨日よりもサッカーを好きになってくれているか、うまくなっているか」と自問自答を繰り返しました。
少しずつ熊商サッカー部は強くなっていきました。格上と接戦し、面白くなかった相手選手からツバを吐きかけられたこともあります。しかし、いきりたつ部員たちを落ち着かせることは、選手だけでなく、私の精神的な成長にもつながりました。子供たちこそ指導者にとって最良の参考書だと今では思っています。
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