そもそも甲子園の土を最初に持ち帰ったのは誰か?
そもそも甲子園の土を初めて持ち帰った球児は誰なのか? これについては諸説ある。これまでによくとりあげられてきたのは、終戦直後の1949年夏の甲子園(第31回全国高校野球選手権)に出場した福岡の小倉高(この年の校名は小倉北)のエース・福嶋一雄である。 福嶋はその2年前の夏、旧制小倉中学の4年生だった第29回大会で全5試合を1人で投げ、九州勢初の全国制覇に貢献した。翌年も新制小倉高の2年生として出場し、全5試合完封で大会連覇を果たす。しかし、3連覇を目指したこの年は、倉敷工との準々決勝で先発するも、6-6の同点で迎えた9回裏に無死満塁のピンチを招いて降板、チームは結局、延長10回の末、サヨナラ負けを喫した。 試合終了後、福嶋は脱力感からもうろうとしながらグラウンドから引き上げる。このとき、彼がある行動をとるのを見ていた人がいた。2日後、小倉に戻った彼のもとに一通の手紙が速達で届く。送り主は長浜俊三という大会審判副委員長だった。文面には「甲子園の土を3年間も踏んだことで、学校教育で学べない多くを学んだはずだ。君がポケットに入れた土の中にそのすべてが詰まっている。それを糧にこれからの人生を正しく、大事に生きてほしい」とあった。それを読んだ福嶋はユニフォームのズボンをひっくり返すと、ポケットから土がこぼれ落ちた。彼にはまったく記憶がなかったが、どうやら無意識のうちに球場の土を摘んでポケットに詰めていたらしい。 杯1杯ほどの量があった土を、福嶋は家のゴムの木の植木鉢に入れ、後年にいたるまで玄関に置いていた。高校卒業後も早稲田大学、八幡製鉄(現・日本製鉄)で野球を続けた彼は、のち日本野球連盟の理事や参与などを歴任し、2013年には特別表彰で野球殿堂入りも果たしている。
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