
豊臣秀吉が築き地震で2年後に倒壊したため、「幻の城」とも言われる「指月伏見城」の石垣の基礎の跡が、これまで敷地の外側と考えられていた場所で新たに見つかり、調査した研究所は、城の規模や構造を見直す貴重な発見だとしています。
「指月伏見城」は、豊臣秀吉が安土桃山時代の文禄3年(1594年)に築き、わずか2年後に地震で倒壊したことから「幻の城」とも呼ばれています。
京都市埋蔵文化財研究所は、京都市伏見区のJR桃山駅前の整備に伴う発掘調査で、長さおよそ18メートルにわたって、幅2メートルほど、深さおよそ70センチの溝に大きな石が埋め込まれた石垣の基礎の跡を見つけました。
この場所は文献から地震で倒壊したあとに再建された「木幡山伏見城」の城下町で大名屋敷があった場所と考えられていましたが、見つかった基礎の跡が屋敷の石垣と交差する部分で壊されていたことから、見つかったのは最初に建てられた「指月伏見城」の石垣の基礎の一部だとわかったということです。
この場所は、これまで考えられてきた「指月伏見城」の敷地のおよそ100メートルほど外側にあり、研究所は城の規模や構造を見直す貴重な発見だとしています。
京都市埋蔵文化財研究所の柏田有香調査係長は「指月伏見城はシンプルな城と考えていたが、堀や石垣を複数めぐらせた複雑な構造だった可能性も出てきた。白紙に戻して考え直す発見だ」と話しています。
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