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Tuesday, January 21, 2020

30年前、「過労死110番」に最初に電話した人は? 『過労死110番』 | J-CAST BOOKウォッチ - J-CASTニュース

 「過労死」という日本語は今やすっかり社会に定着した。メディアでも、私たちの日常会話でもごく普通に使われている。相変わらず過労死・過労自殺は減らないが、社会問題として認知されるようになるまでには、多くの先人の苦労があった。そのことを本書『過労死110番: 働かせ方を問い続けて30年』 (岩波ブックレット)は教えてくれる。

遺族は「一生の闘い」を覚悟した

 過労死の問題にいち早く取り組んだのは大阪の人たちだ。1988年4月、弁護士による過労死に関する無料相談「過労死110番」の取り組みが行われた。本書は、当時の関係者も含めて2018年4月、大阪過労死問題連絡会が行った「過労死110番三〇周年シンポジウム」の内容をもとに一部加筆したものだ。過労死問題についての専門家や当事者たちの貴重な証言が並んでいる。

 平岡チエ子さんは30年前の最初の相談会で、午前10時の受付時間と同時に電話をかけた相談者の第一号。夫がその二か月前、自宅で心筋梗塞で倒れ、亡くなっていた。

 夫はベアリング工場で30人ほどの部下を持つ班長。工場は二交代24時間体制で休日なし。一日の労働時間は当然12時間。一週間の日勤が午前8時から午後8時。翌週は午後8時から午前8時まで。土曜は午後1時から日曜の午前5時、または8時まで。班長という責任感から、班員が嫌がる休日も出勤し、一か月320時間労働になっていた。

 電話相談を受けて松丸正弁護士らで弁護団を組み、労災を申請。翌年認定されたが、会社側は「本人が勝手に働いた。会社が強いたものではない」と責任を認めない。労組は会社と月110時間の時間外勤務を認めた三六協定を結んでいた。

 チエ子さんと長男、長女の遺族三人は「一生の闘い」を覚悟する思いで会社を相手取り提訴。当時、過労死で損害賠償の裁判例はほとんどなかったが、4年後、ほぼ請求額全額の損害賠償を認めさせ、謝罪させる全面勝訴を勝ち取った。

田尻俊一郎医師が先駆者だった

 本書ではその松丸弁護士の話も掲載されている。大阪ではすでに1981年に過労死問題に取り組む「『急性死』等労災認定連絡会」が結成されていた。中心になっていたのは田尻俊一郎医師(故人)。1人で労組や遺族からの相談を引き受けていた。医師意見書を書いて労働基準監督署を説得、この連絡会が発足するまでにすでに10数件の過労死認定を得ていた。しかし100件の心臓疾患で、過労死が認定されるのは5件程度だったという。まさに認定は「針の穴」の時代だった。

 現在は、発症前6か月の長時間労働を評価する基準があるが、当時は、発症前に異常な災害的な出来事がないと認定されなかった。例えば工場が火事になり、消火作業中に心筋梗塞を起こした、などだ。

 「連絡会」には医師や弁護士、労組など70人ほどが集まり、82年に田尻医師らが『過労死――脳・心臓系疾病の業務上認定と予防』という本を出版したのを契機に「過労死問題連絡会」と名称を替えた。しかし、まだ知名度が不足していて相談に訪れる人は少なかった。過労死認定も年に1件程度だったという。そうした状況を一気に変えたのが「過労死110番」を実施したことによる大きな反響だった。

マスコミも後押しした

 こうした過労死問題の社会問題化にはマスコミも大きな役割を果たした。前出の平岡チエ子さんは、夫の過労死に注目してくれたマスコミとして、NHKの織田ディレクター(当時)によるドキュメンタリー番組「過労死――妻は告発する」と、月刊誌「潮」1988年9月号の内橋克人さんのルポルタージュ「見えざる死 過労死――日本の繁栄を陰で支える企業戦士たちの"現実"」を挙げている。

 本書ではそのNHKの織田柳太郎氏の話も掲載されている。たまたま新聞の「会と催し」という欄で「大阪過労死問題連絡会」の例会の告知を見つけ、取材がてらに夜の会合に行ってみた。松丸弁護士ら数人がいて、相談者がぼそぼそと話していた。その内容に驚いた。「私たちの社会が抱える大きな矛盾、問題が今、ここで語られている」と実感したという。それから多数の関係者の取材を重ね、ドキュメンタリー番組として放送した。

 印象に残る取材として、脳内出血で倒れたまま意識が回復しない「内装工事の現場監督」の病室を訪れた時のことを振り返っている。奥さんが夫の体をさすりながら自分の名前、子どもの名前を問い続けている。「お父さん」は家族の名前の問いかけには反応しないが、会社の名前を聞いた時だけ、かすかに答えたのだという。ふと振り返ると、カメラマンがぼろぼろ涙を流していた。VTRを編集するときは、編集室で編集者も泣いていた。今回、久しぶりに「過労死――妻は告発する」を見たら、自分も途中から涙が止まらなくなった。

 過労死についての社会の理解や役所の対応は、こうした先駆的人びとの告発、尽力、支援によって大きく進んできた。本書を読んで痛感するのは、医者、弁護士、被害者、マスコミなど「過労死」をめぐる関係者の幸せな連携である。関西では「情報公開」についても、同じような連携がある。

 本書の発案者は「大阪過労死問題連絡会」の会長だった森岡孝二・関西大学名誉教授。残念ながら発刊前に亡くなった。本書には巻頭に森岡さんの「過労死の現状と『働き方改革の行方』」という一文も掲載されている。

 「過労死」は日本で生まれた新語だという。そして今や「KAROSHI」は、英語の辞書にも載るそうだ。その歴史を関係者の具体的な証言でつづった本書は、過労死問題について手軽に理解を深めることができる貴重な一冊となっている。

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January 22, 2020 at 04:33AM
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