今回の連載「私の4years.」は、Bリーグ・広島ドラゴンフライズの田渡凌(27)です。田渡はドミニカン大学カリフォルニア校で主将を務めた後、2017年に横浜ビー・コルセアーズへ、2020-21シーズンから広島ドラゴンフライズでプレーしています。5回連載の2回目は、東洋大学京北高校(東京)卒業後、アメリカに留学した1年目についてです。
日本では見ることのできない選手たちから刺激を受け
3月に高校を卒業し、アメリカ留学に向けて本格的な準備が始まった。プレップスクールに進学するか大学に進学するかで迷ったが、より高いレベルの大学に行くチャンスがあると見込み、プレップスクールへの進学を決めた。当初、奨学金をもらって入学するはずだった話が校長先生が変わったことにより白紙に戻り、英語のテストに受からないと入学すらさせてもらえないことになってしまった。6月に渡米し、そこからはチームと一緒にトレーニングをしながら英語の勉強に励んだ。バスケの方はとても充実していた。 そのチームには現在NBAでプレーする選手が5人ほどいて、すごくレベルが高かった。毎日自分が見たことないプレーやスキル、能力を見せつけられ、自分ももっとトレーニングを積んで彼らみたいになりたい、とすごく意欲的になっていた。アメリカ留学の1番の目的は、そういう日本では見ることのできない選手たちとの対戦で自分がもっと努力してうまくなれるんじゃないか、と思ったからだった。
立ちはだかった英語の壁
しかし、最初に待ち受けていた壁はバスケではなく英語の方だった。2週間に1度くらいの頻度でテストを受け続けたが、なかなか規定の点数に届かず、ついに9月の入学に間に合わないかもしれない状況に陥った。8月の途中からは学校側からの打診でチーム練習も中断し、ホームステイ先で勉強漬けの毎日だった。 体育館を使えない日々が3週間ほど続いた。自分は何をしにアメリカに来たんだ、こんなはずじゃなかった。多分、今までの人生で味わったことのないような気持ちになっていた。けど、こればかりは誰の責任にもできないし、今ここで自分が嘆いたところで何にもならない。それを毎日自分に言い聞かせ、朝は6時に起きて外を走り、帰って朝ごはんを食べて、勉強を昼までして、昼ごはんを食べてからまた勉強とトレーニングをし、帰って夜ごはんを食べて、また寝るまではひたすら勉強をした。 ただただ悔しかった、夢に見たアメリカ留学はこんなはずじゃなかった。毎朝のランニングでは近くの森まで走り、よく誰もいない川で叫んだ。それが唯一のストレス発散方法だった。けどこの経験からたくさんのことを自分は学んだ。どんな環境、状況でも成長できること、自分次第で全てが変わり、物事全てをしっかりと学び、考え、判断しなきゃいけないこと、大人に頼ってばかりではなく自立することの重要さ。 18歳まで日本で育ち、どこに行ってもチヤホヤされ、欲しいものは全て手に入り、家に帰ればごはんが出てくる、練習着は次の日にはきれいになって乾いて畳んである。全てが用意されていて、それをこなすだけの毎日だった。バスケのことだけ考えておけばよかった。そんな恵まれた環境だった。留学したことで全ての面において自立が必要になったが、言葉が通じない世界で限られた仕送りの中でしっかりと生活してきたことは、人としての成長につながったような気がする。 だらしない生活をすれば結果につながる。やるべきことをやらなければ結果につながる。全てが競技につながると思い、私生活を送る習慣はこの時に学んだことだった。
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