学齢期に中学校に通えなかった人や外国出身の生徒が学ぶ「夜間中学」。映画「学校」(1993年)を撮った山田洋次監督(90)は、夜間中学の存在を広く世に知らせた。山田監督に話を聞いた。
生き生きと勉強する生徒「これは映画にできる」
――なぜ夜間中学を舞台に映画を撮りましたか。
ある脚本家から最初に夜間中学のことを聞いたとき、「え、そんな世界が映画になるのかな」と思いました。映画監督から見れば、やたら地味な世界じゃないですか。
でも「一度見に行きましょう」と誘われて東京都の荒川九中(荒川区立第九中学校)の夜間中学に行ったんです。
授業を参観して驚きました。年配の人まで含めて、生徒がとても楽しそうに、生き生きと勉強している。先生もすごく元気なんです。
教員室の中はとても開放的で、例えば新劇の事務所のよう。生徒が一人ひとり教員室に顔を出して「こんばんは」と言って教室に向かう。先生はきょう誰が来てるか、休んでるかを全部把握してる。
一生懸命学ぼうとしてる。初歩のクラスでは字の書き方から始まるわけです。生徒が初めて字が書けるようになり、先生にはがきを出す。「おい、はがきもらったよ」と言われたときはどんなにうれしいか。自分の書いた字が初めて、知らない郵便局の人にちゃんと読まれて届くということが。
――まさに「学校」で田中邦衛さんが演じた競馬好きの男性「イノさん」がそうでした。
そう。学ぶというのはそういうことなんだと。自分が賢くなっていく喜び。それを応援する先生も楽しくないわけがない。僕は時々この学校に通うようになり、そのうちに「これは映画にできるな」となった。
――今回の連載記事の舞台である大阪市立天王寺中学校夜間学級にも通われた。
行きました。今でも圧倒的に(在日コリアンの)オモニ(お母さん)が多いですか?
――在日コリアンや韓国出身の人も多いですが、いまはネパールの人が一番多いです。
東京の荒川九中では中国残留孤児の人たちが何人も日本語を習っていたけど、大阪の天王寺中は「オモニの学校」と言われるぐらい在日の年配の女性が多かった。みんな一生懸命勉強してた。オモニたちと話をするのはとても楽しかったな。
夜間中学をめぐっては、国が増設の後押しを進めています。しかし昨年、大阪市では4校を3校に統廃合する計画が明らかになりました。夜間中学があることの意義、そしていまの学校教育について、山田洋次監督が語ります。インタビュー動画もあります。
牛乳とパン1個だった夜の給食 生徒「不公平やんか」
例えばこんなこと覚えてます…
からの記事と詳細 ( 夜間中学、実にハートがあるね 「学校」山田洋次監督が見た学ぶ喜び - 朝日新聞デジタル )
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